拓殖のあと

はてなダイアリーから引き継ぎました。(2018年8月31日)

研究会のお知らせ

モダニズム/モダニティ研究会 第一回案内

日時 2009年4月19日(日) 午後2時〜6時
場所 津田塾大学 千駄ヶ谷キャンパス(〒151-0051 東京都渋谷区千駄ヶ谷1-18-24)
津田ホール別館二階202教室

内容予告

「私は公爵である。彼は精神分析研究家である。そして我々は英文学者である
――「日本」の「英文学」から見えること」                   
脇田 裕正(東京大学

『夢判断』刊行から2年後の1902年(明治36年)には森鴎外が『公衆医事』に寄稿した「性欲雑説」のなかで精神分析について言及しているように、日本でも精神分析は少数とはいえ医学者や文学者たちに早くから言及されてきた。とりわけ昭和初期には二つの出版社から相次いでフロイト著作集が刊行され、フロイトブームと呼べるほど精神分析フロイトは注目されるようになる。
 今回の報告では、1929年に春陽堂から出版された『フロイト精神分析全集』を、実質的にほぼ一人で翻訳刊行した大槻憲二について検討していきたい。大槻は精神分析研究家であると同時に、英文学者でありモリス研究の第一人者でもあった。精神分析と英文学との間に位置した大槻の軌跡を追うことによって、日本の知られざる英文学受容の一側面が垣間見えると思う。また、大槻の盟友でありパトロンでもあった岩倉具栄についても検討していきたい。太平洋戦争後、岩倉具栄は法政大学教授としてマンスフィールドやロレンスの翻訳者として知られるようになるが、戦前の岩倉は、精神分析や英文学の研究を行う一方で、南洋政策や人口問題という「実践」に関わった人物であった。最終的に、この2人の関係を通して、戦前日本の言説空間における「英文学」受容の特色について考えていきたい。
 資料として、雑誌『精神分析』や『脳』、そして貴族院関係の資料まで幅広く見ていくが、本報告者は岩倉具栄の肉親からの聞き取り調査を行っているので、様々な観点から大槻と岩倉と英文学と精神分析との関係を見ていく予定である。

「"Affective Turn"をマッピングする」 
秦 邦生(津田塾大学

ここ数年、哲学、思想、心理学、歴史学、文化研究など、多様な分野で「感情」や「情動」をキーワードにした研究が目につくようになってきた。この報告では、最近の研究書を紹介することで「情動論的転回」の流れを概観しつつ、とりわけ文学研究・批評理論との関係で、この動向の意義と問題点をさぐってみたい。具体的には、報告者が最近もっとも大きな刺激を受けた研究書であるJustus Nieland, Feeling Modern: The Eccentricities of Public Life (Illinois UP, 2008)の、特に序章を取り上げる予定。