拓殖のあと

はてなダイアリーから引き継ぎました。(2018年8月31日)

『翻訳の政治学』読書メモ 2

人間の用いる言語や学知が、絶対不変の同一性を有する意味や価値の担い手たりえず、文脈に依存してそのニュアンスを異にする可変的なメタファーに留まるものであっても、否あるからこそ、人間はそれによって、常に自らの表現を研磨し再生しつつ対話を続けることがでてきているのである。「つぎからつぎへと取って代わられるメタファーの歴史として人間の歴史を考えてみれば、私たちは詩人を、新しい言葉をつくる人、新しい言語を形成する人の総称という意味で、人間という種の前衛だとみなすことができる……私たちは、ただいろいろな言語やメタファーを相互に比較し合うだけであり、言語やメタファーを「事実」と呼ばれる言語を越えた何かと比較するのではない」〔Rorty 1989=2000: 45〕。そのようなゆるやかな意味での「同一性」を滋味豊かに花開かせる「詩」や「哲学」に属する人文学の伝統と、人々の相反する切実な要求を可能な限り共存へと導こうとするアクチュアルな「同一性の哲学」とが結びつくのであれば、東アジアのそして人類の未来は、きっと光あるものとなるに違いない。(279)

某学会関東支部とかじゃお呼びできないかな…。「「詩」や「哲学」に属する人文学の伝統」が「滋味豊かに花開かせる」「同一性」とは、与那覇さんにとってはどういうものなのか、お聞きしつつ、自分もマジで考えたい。