拓殖のあと

はてなダイアリーから引き継ぎました。(2018年8月31日)

植村さんの図式、分かる!

思想史には疎いし、右翼思想を読んでいないせいもあるのだが

日本思想という病(SYNODOS READINGS)

日本思想という病(SYNODOS READINGS)

植村和秀さんの「思想史からの昭和史」が分かりやすいマッピングを提示してくれていてありがたい。「右翼/左翼」ではなく、もう一つ軸を加えている。つまり、「理の軸/気の軸」を交差させて、「理の軸」は丸山真男vs平泉澄、「気の軸」は西田幾太郎と蓑田胸喜としている。もし自分の読書や研究においていやそれ違うだろと思うことがあっても、昭和思想を読んでいく時の見取り図としてはとても分かりやすいような気がする。
気がする、というのは、もちろん私が専門家ではないから。
たぶんこれは英文学でもできるだろうと思う。自分で本を書くときこの図式を知っていれば…と思いつつ、いややっただろうかとも考える。もちろんジェイムソン『政治的無意識』の読者だからあの四象限の図式を知っていたわけで、私も「来るべき〈英文学〉」を語ろうとするならば人物・ポジション相関図を作って四象限を作り、その組み合わせ(の有無というか不在存在の可能性)を考えても良かったのだが、あの時は英文学からサヨウナラしたかったからやらなかったのだったろうなあ。
もしやりたい人がいれば、
太平洋戦争と英文学者

太平洋戦争と英文学者

でやると結構うまくいくとおもう。今では知られていない英文学者も論じられているから、四象限(何を軸にするのかはもちろん論者の意図による)が埋めやすいはず。1930年代〜45年を考えると、「気の軸」の元気な人は中野好夫でいいような気はする。大和資雄は典型。では、元気でないネガティブな人はどうだろう。蓑田胸喜のような誰にでも噛み付く人って英文学者にいたっけ・・・英文学者で「理の軸」というのはどうか。とりあえず齋藤勇、学問=非政治性という理念を考えている。この人に対抗するような理論派、左翼の英文学者の歴史はそろそろ研究が出てきている。あと、私が肯定的に捉えた(たぶんそうしすぎた)中島敦はどこに入れるか。・・・ともあれ、こういうのは「英文学部」という看板がまだ十分有効な場所にいる方の仕事だろう。

今の私なら、戦前の英文学者のマッピングとして、宮崎さんの「イギリス尊敬/イギリス反対」という軸を踏まえた上で、ここに、当時の英文学者の一部が出会っていたはずのアジアで"english literatures"をどう扱ったのかというところを考えたいような気がする。イギリス反対で「シェイクスピアを日本に奪還せよ」(これ今の「シェイ屑ピア派はどう扱うのか、今度聞いてみよう)の大和資雄のような人たちは、では多様な「シェイ屑ピア」を、「大東亜共栄圏」にすでにあったenglish literaturesを肯定したのかどうか。ここで「ブルジョワ/プロレタリア」という軸や「本国/植民地」という軸を入れてみたい気もするな。