拓殖のあと

はてなダイアリーから引き継ぎました。(2018年8月31日)

片山さんのブックガイドが分かりやすい!

近代日本の右翼思想 (講談社選書メチエ)

近代日本の右翼思想 (講談社選書メチエ)

これは9月のこともあるので読み込んでおく。もちろん片山さんの話も面白い。特にブックガイド(146〜155)。こんなに面白そうな昭和思想史研究が出ていたのか!と自分の無知を恥じる。全部注文した。本当は彼ら彼女らの原著論文に当たればいいのだが、その前段階として、である。

著者は、柳田も折口も保田も、揃って日本人論の核に本居宣長の「もののあはれ」を据えた点に注目します。すると「もののあはれ」とはなんでしょうか。乱暴に言ってしまえば、人の限界、くじける魂を知って涙することではないでしょうか。とすれば、彼らが認めた日本的なるものの真髄とは、つまりは日本人の心の弱さなのです。彼らの求める日本的なるものは、日本的総力戦しそうのうたいあげる強く雄々しくたくましい日本人像と両立しようがありません。ここに大きな軋轢が生じていたと考えるべきなのです。(147)

これは

過去の声―一八世紀日本の言説における言語の地位

過去の声―一八世紀日本の言説における言語の地位

を念頭において読もうかな、この本なら内容は覚えているし(笑)。
ブックガイドにもどると、
日本主義と東京大学―昭和期学生思想運動の系譜 (パルマケイア叢書)

日本主義と東京大学―昭和期学生思想運動の系譜 (パルマケイア叢書)

「日本」への問いをめぐる闘争―京都学派と原理日本社 (パルマケイア叢書)

「日本」への問いをめぐる闘争―京都学派と原理日本社 (パルマケイア叢書)

(略)日本的なるものに向かっていった人々の価値観は、文学者だろうが哲学者だろうが政治思想家だろうが、表面ではいろいろ違うようにみえても、とどのつまりは似たようなものだ、本質的には一枚岩だ、みんなが、あるがままでなされるがままのファシズムのノリに回収されていたんだ、という話です。
でも、実際はそんなことはないだろうと、著者は本書で強くアピールします。(略)
その両極端とは、あるがままに身を委ねて主体を放棄してよしとする、言わば「自然派」の、三井甲之や蓑田胸喜ら、原理日本社の思想と、主体化する契機をあくまで手放すまいとする、言わば「作為派」の、西田幾太郎や田辺元ら、京都学派の思想です。(149〜150)

北一輝――国家と進化 (再発見 日本の哲学)

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近代日本の国体論―“皇国史観”再考

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