拓殖のあと

はてなダイアリーから引き継ぎました。(2018年8月31日)

福嶋さんツイート

  • 04:50  RT @liang_da: まぁとにかく、「神話が考える2.0」を書かないとダメだと。そう思ってます。
  • 04:50  RT @liang_da: 美術は強引に正史をつくった。だからこそ「奇想の系譜」も際立つ。他方、文学にはあいまいな正史しかなかった。その結果、村上春樹のように、ピンボールマシンをむりやりに「起源」にするような偽史作家が出てきた。こういう歪みですね。
  • 04:49  RT @liang_da: というか、そうじゃないと当時の文化基地であるところのボストンには行けないし、「美」による国家ブランディングもできない。天心やフェノロサみたいな人が他ジャンルにいなかったのは、やっぱり大きな限界になってると最近思います。
  • 04:49  RT @liang_da: いや、日本の近代文学は前近代を基本、切ってると思いますね。天心=フェノロサはよくも悪くもちゃんと過去を構成してますよ。RT @eto 文学の世界で岡倉天心フェノロサに相当するのは、夏目漱石森鴎外なんじゃないでしょうか?
  • 04:49  RT @liang_da: ただ、それが本当にグローバル化の荒波を渡り歩ける文学的価値として屹立するのか?それは未知数と言わざるを得ない。
  • 04:49  RT @liang_da: 真善美で言えば、日本の文学は一応「真」を担おうとするジャンルだったとは言える。私小説がそれです。今、ケータイ小説にせよ、ホリエモンの拝金にせよ、東さんのQFにせよ、大江健三郎にせよ、広い意味での「告白文学」が出てる。これは「真」の周りで戯れるタ ...
  • 04:47  RT @liang_da: なんつっても埒があかないけれど、比較的近い流行であるところのメタフィクションも忘れ、マジック・リアリズムも忘れ、すべてを忘れ……とやってたら、それはもう何も残らない。「神話が考える」はその忘却に抵抗するために書いたわけだけど、あれではまだ足りなかった。
  • 04:47  RT @liang_da: もちろん、川端康成三島由紀夫のようにオリエンタリズムの文脈を折り込めば、西洋では受け入れられる。ただ、向こうは向こうで今やポストコロニアリズムも浸透しているわけだから、もはやそういう手も使えないでしょう。ベースがあまりにもなさすぎる。
  • 04:47  RT @liang_da: 思うに、日本の近代の文化ジャンルで、前近代との接合をちゃんとやり、しかも国家イメージまでブランディングし得たのは、岡倉天心フェノロサがいた美術しかない。文学は(演劇や詩も含めて)前近代を否定し、ブランド化を否定し、結果的にアイデンティティゼロ ...

神話が考える ネットワーク社会の文化論

神話が考える ネットワーク社会の文化論

Powered by twtr2src