拓殖のあと

はてなダイアリーから引き継ぎました。(2018年8月31日)

『英語青年』ネタ(福山の福原)

R.F.(福原麟太郎)を読み直さなきゃダメかもしれない、という話。以下ウィキより。

広島県沼隈郡神村(現・福山市)生まれ。1912年、広島県立福山中学校(現・福山誠之館高校)卒。(中略)太平洋戦争直後の1946年から1953年まで日本英文学会会長を務めた。

以前ここに書きましたが、福原が実家に帰省すると『英語青年』に報告が掲載されるわけで(これ自体、現在から見ると凄いことですよね)、まあ毎年春と夏に結構マメに帰省しているといってもいいです。広島「県」は地元ということでしょう。当然、広島「市」への原子爆弾の投下にも言いたいことはあったでしょう。ここで彼の実家が「福山」ということに何か意味があるかどうか。
あと、1948年の英文学会西日本大会@広島文理科大学(1949年も開催されている)は「復興」を意図したものでもあったようだ。このことが福原と関係があるかどうか。当時の会長なのだからなにもないはずはないのだが、つまりすくなくとも事務局とか理事会の提案を聞いてハンコは押しているだろうくらいは言ってもよいと思うのだが、それ以上にどこまでなにがあったか、ということですよね。

雑賀についても調べるつもりだが、私は福原をやった方がよいような気がしてきた。筑波大学の前身のエライ人だし。