拓殖のあと

はてなダイアリーから引き継ぎました。(2018年8月31日)

1952年の『英語青年』

昨日は池袋でコーネル大の学生さんと話をして(日本とシンガポールの英語教育を比較、酒井直樹さんのco-figuration図式の話になった)帰宅、そのあと件名のとおり『英語青年』を読んでいた。やっぱり「長崎」はない。以前書いたような気がするが、旧帝・高師がないとこういう扱いになるのかなあ…という感慨はあります。日本の英米文学制度を調べるなら『英語青年』だけでは全然足りないという、ごく当たり前の事実を噛み締めている午前10時33分。