拓殖のあと

はてなダイアリーから引き継ぎました。(2018年8月31日)

関東支部大会でのシンポを終えて

昨日は長い1日だった…。さすがに疲れたが、充実した1日ではあったかな。
Oさんの大変明快かつ刺激的な『ドラキュラ』論を拝聴。集団ヒステリーの問題をこのさくひんに読み込むという議論だったが、司会のOさんからル・ボン『群集心理』の話が出たこともあり、私などはコンラッド作品における「群衆」あるいは「集団」のことを想起して、これってストーカー作品とコンラッド作品はつながるのかなと考えて、ちょっと質問させていただいた。
次は「カリブ・アフリカ文学と民衆」、これはまさに「民衆」の表象をめぐる、大変濃い議論が展開されたのだが、予想された通り、昨今の日本の政治情勢への介入でもあった。何らかの形で活字化されることを期待。
私は「日本・原爆・英米文学」シンポに参加したのだが、ようやく輪郭が見えてきた清水春雄の話を関東支部ですることができて、個人的には少し区切りがついた、ような気がする。彼にとってホイットマンを研究することは、自らの戦争体験や被爆体験(インタビューと最終講義で公表ずみ)を理解し表現することであったのは間違いないのだが、ただし研究論文や単著に直接自らの体験を書き込むことはなかった。これ以上に議論をするのであれば、被爆体験を語ることの困難さという問題領域に踏み込み、それを英米文学研究制度の問題として再考することなるのだろう。先は長いが、課題はある程度わかった、と一応書いておこう。
というわけで(?)、まずこの本から読もうかと考えている。

原爆体験と戦後日本――記憶の形成と継承

原爆体験と戦後日本――記憶の形成と継承