拓殖のあと

はてなダイアリーから引き継ぎました。(2018年8月31日)

マルクスから英文学へ

上野千鶴子さんがフェミニズムを選んだように、英文学を選んだ英文学者はいるのだろうか。マルクス・エンゲルス著、マルクス・レーニン主義研究所訳『マルクス エンゲルス 文学・芸術論』(国民文庫20、大月書店、1955; 1988)の末尾に「付録」があって、ポール・ラファルグ、ウィルヘルム・リープクネヒト、フランツ・メーリングの文章が掲載されている。曰く、マルクスは語学の天才であった、アイスキュロスを毎年一回は読み、シェイクスピアを諳んじていた云々。ラファルグによれば、マルクスは「外国語は人生の戦いの武器だ」という格言を好んだという(184)。
ここから例によって日本の話をすると、日本には左翼の英文学者はいた。しかし彼ら(彼女ら、といっても女性の英文学者は少なかった)は「人生の戦いの武器」として断固英文学に身を投じたのだろうか。マイノリティ運動にコミットするような人々が選択するような英文学というのは存在したのだろうか。要するに、英文学=保守という常識を疑ってみたいのである。