拓殖のあと

はてなダイアリーから引き継ぎました。(2018年8月31日)

『中島敦と問い』、『三点確保』

小沢秋広中島敦と問い』(河出書房新社、1995年)が古本屋でも入手困難なのは全くひどい話だ。

中島敦と問い

中島敦と問い

「当時もう一つのことが気に掛かっていた。わたしが違和を感じながらいささか乱暴に〈日本的〉と形容する、だれもが同じことを問題にし合うような言説の在り方と、思考における創造的な面の欠如との、相補関係についてであった。言説の在り方に関わるこの意識は、課題に対する不信となって喉元にひっかかり、この論考ではベルクソンの名で呼んだ創造的な仕事に対する親愛とは反比例するように、ことばは出難くなっていった。中島敦はこのとき、わたしには未だ曖昧模糊としていた問い、言説の在り方に対する問いを、見事に生き抜いた表現者として現われてきた。」(「あとがき」、268頁)中島の核心の一つをわかってしまっているこの人に読まれることを意識して、中島&RLS論を書こう。それにしても、小林秀雄「古典について」(『文学界』1942年4月号)に触れている箇所なんて、もし「ヴァレリー云々」と言われていたら、私の論文など一発でアウトだった。*1
ヴァレリーつながりで山田広昭『三点確保――ロマン主義ナショナリズム』(新曜社、2001年)。
三点確保―ロマン主義とナショナリズム

三点確保―ロマン主義とナショナリズム

この本を読んで納得する前に、まずは(『文学界』グループによる)ヴァレリー受容の手堅い実証的研究を読む必要を痛感した。

*1:これは当然で、小沢さんは『千のプラトー―資本主義と分裂症』の翻訳者の一人なのだから。[2006年3月13日]