拓殖のあと

はてなダイアリーから引き継ぎました。(2018年8月31日)

『日本文学盛衰史』 

新年おめでとうございます。
今日は本当は札幌にいるはずだったが、大雪&寒波で四〇年もののヴィンテージ官舎が破壊されていないかと心配、昨晩帰省した。官舎は無事だったので、明日は予定通り東京・筑波での「研修」に出発する。
今年の「正月の本」は高橋源一郎 『日本文学盛衰史』 (講談社、2001年)だった。最初から最後まで三回熟読、これほどまでに果敢に日本文学へ挑戦する作家を得た日本文学者は幸せだ。

日本文学盛衰史 (講談社文庫)

日本文学盛衰史 (講談社文庫)

ただ、私は、正直なところ、この優れた日本文学への応援歌――これすら読まない国文科の学生が多数派なのだろうなあ――それ自体よりも、むしろ巨大な可能性を秘めた存在として記述されている二葉亭四迷長谷川辰之助のことが気になってしょうがない。

「二葉亭は、日本文学の誕生に力を貸し、その誕生に必要なあらゆる武器を単独で作りあげながら、同時に、彼が用意した武器によって文学が「離陸」した後、それが変質するであろうことを予期していた。・・・二葉亭にとって「自由な散文」とは、目に見える世界との決別、それを否定するための武器でなければならなかった。なぜなら、文学は、目に見える世界を否定するために存在しているからであった。だが、一度生まれた文学は、そして「自由な散文」は、やがて目に見える世界の側に移行していくのではないか。もし文学が絶えざる否定であるなら、そんな困難な立場に作家は耐えることができるのであろうか。二葉亭が吐き捨てるようにいった如く「文学者といふものは文学の最大の敵」なのではないか。そのことに気づいた時、二葉亭は文学を捨てねばならなかった。いや、彼は「文学者」であることから「下り」ねばならなかった。」(「我々はどこから来たのか、そして、どこへ行くのか①」、pp.230-231)

ただし、このように二葉亭の仕事に日本文学への最初にして最高の批評を読み取る高橋源一郎は、啄木や花袋、漱石、鴎外を扱うようには二葉亭を扱っていない。テリー・イーグルトンが『文学とは何か』においてマルクス主義フェミニズムについては紹介しつつ葬り去るという扱いを避けたことを思い出す。