拓殖のあと

はてなダイアリーから引き継ぎました。(2018年8月31日)

まとめられない・・・

名古屋大学の院生、広瀬正浩の論文、「ネイティヴ・スピーカーのいない英会話――戦時・戦後の連続と「アメリカン・スクール」」、『名古屋大学国語国文学』、88、2001年を読み始めている。というか、今日は会議がどかどか入っているのと、恥ずかしながら小島信夫アメリカン・スクール」を読んでいないので、熟読するのは来週になりそう。それでも、私にとって興味深い論考であることは間違いない。例えば、酒井直樹『死産される日本語・日本人』(新曜社、1996年)をふまえた山口誠「メディアの編成、知の編成――初期方法における「英語」と「国語」の節合過程と二つの「共通語」の政治学」(『思想』2001年2月)に触れつつ、「アメリカン・スクール」(1954年)という小説に、戦後の日本において英語力を要請された〈日本人〉の誕生を読み取る磯田光一に対する反論はこうだ。

英会話という場には、話者が自身の規範とする英語の記号体系の動揺を自覚する、話者にとっては暴力的な経験が潜んでいるのだが、その暴力性を問題にできない「戦後」論者らは、英会話における日本人発話者の記号体系を絶対化してしまう戦時中の英語感の構築の想像力を継承することになる。(7) 

この「暴力性」を回避しようとする試みは、戦時中や戦後に限らず、山口誠『英語講座の誕生』(講談社メチエ、2001年)や拙論「翻訳と翻案――岡倉由三郎について」(2001)によれば、すでに1900年頃に始まったことである。岡倉と、そして市河。
たしかにこの「暴力性」(いろいろ言い換えることができると思う)を、英文学者や英語教育者はもてあまし、忘却してきた。それは当然で、日本において英語を読み話すという無茶苦茶、その「暴力性」を諄々と学生に説きながら、(酒井直樹の言葉を借りれば)「対―形象化の図式」を通じて見出された「分割不可能な統一鯛」として構想された「国民」を立ち上げるのは無理というものだろう。
ところで、私は、日本語と英語が出会う接触領域における「暴力性」には興味を引かれる。広瀬が注で言及している岡野八代「暴力・ことば・世界について」(『現代思想』2000年2月)――未読、とっとと読まなきゃ――で展開されている(のであろう)議論は決して無視できない(だろう)が、しかしすでに「暴力」よって蹂躙されてしまっている場所では、その「暴力」の結果生まれたものをなんとか使えるものにしていく試みがあるはずであり、それを肯定したいのである。これ、「暴力」を例えば「クレオリテ」と書き換えれば問題ないのだろうか。でも、「クレオリテ」は「暴力」の産物、それをなんとか肯定しようという試みだったのではないか。
と、こんなことを書いていると、小樽商科大学英語部在籍中、友人Mがスピーチで「ジャプリッシュで、いいじゃない?」と訴えていたのを想いだす。