拓殖のあと

はてなダイアリーから引き継ぎました。(2018年8月31日)

レヴィジオン

東京から帰ってきてから、なぜか首の淋巴腺が腫れ気味で、咳が出る。風邪か?とにかく体重増えすぎ、不摂生しまくり、さすがにヤバイな。
昨晩は栗原幸夫編『レヴィジオン〔再審〕第2輯 超克と抵抗』(社会評論社、1999年)をざっと読む。(じっくりねちねち読む時間がないのが残念。)

超克と抵抗 (レヴィジオン 再審)

超克と抵抗 (レヴィジオン 再審)

座談会「総力戦と抵抗の可能性――戦時変革あるいは生産力理論をめぐって」(小倉利丸・崎山正毅・米谷匡史・栗原幸夫)を興味深く読んだ。一言で言えば、この座談会は、山之内靖を中心とするグループ(という言い方でいいのか)による『総力戦と現代化』『ナショナリティーの脱構築』に対する応答である。それは「国民国家的編成」を前提とした議論であって、ここには「帝国的編成」(例えば中国や朝鮮)という視点が欠けているという崎山や米谷の問題提起はなるほどと思った。私は、最初柏書房の二冊本を読んだ時、抵抗すらも併呑してしまう「戦時体制」というものがあった、だからこそ「(ナショナリティーの)脱構築」を考える必要があるのだというこの二巻本のストーリーを受け入れた記憶があるので、なるほど崎山・米谷の視点は“レヴィジオン”だなあと納得したのである。
ところで、私がある意味驚いたのは、「読者の問題、あるいはテクストの権力とでも言うべき問題」(65)にこだわる小倉の議論である。「補論②方法について」での小倉の整理はこうだ。知識人は時代に応答し、テキストを生み出す。東亜共同体論、生産力理論、転向後の平野義太郎の仕事、京都学派のテキスト、等々。こうしたテキストが戦時期にどのような意味を持っていたのかを考えるとき、当時の現実の政治過程を視野に入れながら、それとテキストとの異動を分析するという方法がある。これはこれで有効である。しかし、と小倉は続ける。

他方で、知識人の問題は、単に著者としての知識人が時代と向き合いながらテキストを生み出すというところが問題の終着点なのではなく、むしろそこが問題の出発点なのだと思う。つまり、彼らのテキストは、どれだけの読者に受容されたのか。また、その読者とは誰なのか。そしてまた、その読者たちはこの知識人たちのテキストをどのように理解したのか、ということである。(66)

小倉が例として紹介するのは、転向左翼、平野義太郎の仕事についてである。彼の仕事は「民族政治学」についてであれ大東亜共栄圏賛美であれ、その眼目はあくまで西欧列強からのアジアの解放であり、それ以外の(マルクス主義者としては)余計な部分は偽装転向のための方便だった。そして、彼の読者はそれをわかって読み、メッセージを受け取っていたのだ。ここには抵抗の可能性があった・・・という議論が成立するのかどうかを小倉は問うている。そのため重要なのは、おそらく、

誰が読者なのかを巡る問題である。書かれたものがどのような媒体に掲載されたのか、また、書かれたものだけでなく講演や講義などのように直接聴衆に接しながら知識人としての活動も行っていたとしたら、その聴衆とは誰なのか、ということである。そのとき、読者となる人々は、はたしてこれらのテキストを偽装転向のテキストと読むといったことが可能だったのか、ということである。こうした問題にこたえるためには、テキストの解釈を読者による解釈というメタレヴェルでも検証しつつ、同時にメディア分析も行うという二重の課題をこなすことが必要になる。このような読者の分析を通じて、書かれたテキストの社会的な意味、知識人の社会的な機能がはじめて明らかになると思う。先の平野に関しては、多分まだこうした研究はされていないのではないかと思う。(67)

なるほど。私は〈英文学〉で似たようなことをやっているということになるのか。戦時中沈黙を余儀なくされた英文学者の「偽装転向」。検閲を逃れて出版され、しかし日本帝国主義を批判するようなテキストとして読むことを読者にひそかに要求するようなテキストを生み出し、その要求にこたえる読者。
ただ、この「抵抗する読者」(ジュディス・フェタリーの名著!)という議論をすると、正直話が大きくなり、リサーチも大変だ。今の私ができるのは、戦時中の英文学者が、国策迎合的なメディア状況の中で、しかし反国策的なメッセージを読者に伝えてしまうようなテキストを生み出すことができたのかどうか、この点までだろう。