拓殖のあと

はてなダイアリーから引き継ぎました。(2018年8月31日)

阿部知二とスティーブンソン

河上徹太郎他、竹内好『近代の超克』(冨山房冨山房百科文庫〕、1999年)。論文で『文学界』ネタを間接的にしろ扱うので読んだ。「近代の超克?何をたわけたことを言っているんだ」とごく真っ当なことを言っている中村光夫は悪くないと思ったので、『中村光夫全集』が古書で安く手に入らないかなと検索中。
参ったな。木村一信編『戦時下の文学――拡大する戦争空間 文学史を読みかえる4』(インパクト出版会、2000年)の「拡大する戦争空間――記憶・移動・動員」という対談(黒川創池田浩士、加納美紀代、木村一信)を読んでいたら、黒川さんがこんな発言をしているのに気がついた。

阿部知二にはスティーブンソンの翻訳がありますね。『宝島』とか。もうひとり同じようにスティーブンソンに関わったのが、『光と風と夢』を書いた中島敦ですね。かれは戦時中に亡くなりますが、中島敦は朝鮮育ちというのがなければたぶん、「李陵」とか「山月記」もなかった。植民地の、孤立の経験ってあるじゃないですか。最後は南洋へ行ってスティーブンソンになるわけですが、中島が南島で暮らしたスティーブンソンのなかに見ていたのも、孤立の経験です。中島はストイックな作家だとみなされがちだけれども、かなり複雑な女性関係を転々としたり、朝鮮とか中国とか小笠原とか、一人旅をしてみたり、どうも寄る辺なさげですよね。それに、あくまでもプライベートな作業だったようですが、ハクスレイやカフカも訳しているでしょう。井伏は石井桃子から頼まれて『ドリトル先生』を訳している。戦時下の翻訳というのは、文化的にも、とても重要な問題だと思います。(pp.32-33)

ここで黒川さんが言っていることは中村光夫が言っていたことに近い。「植民地の、孤立の経験」がある「中島が南島で暮らしたスティーブンソンのなかに見ていたのも、孤立の経験」だったという黒川さんの発言は、『文学界』1942年6月号の中村光夫による『光と風と夢』評に通ずるものがある。どちらも中島自身の植民地体験を『光と風と夢』に重ねて読もうとしているのである。ところで、私の論文(推敲中)の意義は?冷静に考えれば、1942年の時点において、〈中島自身の植民地体験を『光と風と夢』に重ねて読む〉という試みが一体どのような意味を持っていたのか、具体的に明らかにしている、少なくともその第一歩を踏み出しているということだろう。「戦時下の翻訳というのは、文化的にも、とても重要な問題だと思います。」全くその通り。問題は、誰にとってどのように重要だったのかを明らかにすることだ・・・かなり難しいけれど。自分でやってみてよくわかった。