拓殖のあと

はてなダイアリーから引き継ぎました。(2018年8月31日)

松本零士『元祖大四畳半大物語』

昨晩サン・コミックス全6巻を通読。主人公の足立太は少なくともセックスにおいては十分に満たされているので、なんというか、『男おいどん』の大山昇太とちがって、ただの煩悩ぐうたら人間ーーというか間接的ヒモ?ーーにしか読めない。女は欲しいがすぐふられることにもだえる大山のかわいらしさ&いじらしさがない。面白くない。ぐうたらダメ男表象としては、足立の方が「らしい」といえばらしいのだが。
ところで、竹熊健太郎杉森昌武編集『萬有ビンボー漫画体系』(祥伝社、1999年)に掲載の大泉実成による松本零士インタビューの最後で、大泉は「帰り際「最近は『おいどん』を小学生が読んで笑ってくれてるんですよ」と言った時の〔松本の〕笑顔が印象的だった」(84頁)と書いている。そうなのか。
私がむかーし『おいどん』を読んだ時はどうだったっけ・・・。たぶん、大学に入るまで「バンカラ」なるものを知らなかったので、汚いルーズな野郎の話は単純に面白くなかったのではなかったか。しかし、中学に入って読んだ北杜夫マンボウ青春記』(1973年)なんてのはゲラゲラ笑いつつも思誠寮に憧れを感じたはずなのだが。定時制高校夜間部中退のフリーターのドタバタと、旧制高校バンカラのドタバタと、何が違ったのだろう?やっぱり後者の「知的な雰囲気」というやつだろうか。これは『男おいどん』ではかなり明確に敵視されているな。