拓殖のあと

はてなダイアリーから引き継ぎました。(2018年8月31日)

小笠原さんは少なくとも「シャモ」だったのではないか

「批評空間」のどの号か忘れたが、川村湊さんが小笠原克さんのことについて触れていて、長見義三アイヌの学校』を復刻させようとして、ウタリ協会と厳しい談判になったエピソードについて語っていた(と記憶する)。この「事件」の詳細は知らないのだが、この談判のあと小笠原さんは「シャモ」としての自覚を否応なしに持っただろうと考える。そして、この「シャモ」としての自覚なくして「シサム」と呼ばれることはないのだ。このエピソードはもう少し調べてみたいと思っている。
関係あると思うので、貼っておく。川村湊批判であるけれど、それにとどまらない問題提起。(ヤイユーカラの森読書通信12(計良 光範) もうひとつのステレオタイプの捏造 川村湊著『風を読む 水に書く―マイノリティ文学論』(講談社、2400円))http://www.dokusho.co.jp/docs/backnumber/2000/back076.htm