拓殖のあと

はてなダイアリーから引き継ぎました。(2018年8月31日)

大泉実成『消えた漫画家』(1996年、太田出版)、『消えた漫画家②』(1997年、太田出版)

前者の鴨川つばめロングインタビューが面白かった。
「大」九州人、松本零士の『男おいどん』(1971―73年)で、何巻だったかな、かつての同級生が受験で状況してきてすったもんだ、で「九州の男は気が短い、おいどんぶち殺されるかもしれん」云々という箇所があるが、三池でダンプで仕事をしていたという鴨川の父親がそのまんま。

ここ(わき腹)にピストルで撃たれた傷がありましたからね。一度なんか、喧嘩した相手が角材振り回して、よけそこなって鼻にひっかけて、小鼻を皮一枚ぶら下げながら帰ってきたことがあるんです。顔中血だらけにして。もう歯はほとんど入れ歯でしたね。どんな武器もっていたんですかね。なんか売り買いやってたらしいんですよ。(146頁)

鴨川自身の、1970年代初頭の東京での極貧漫画家生活。

なんか、あの頃は、お腹すいていると緑っていうのが駄目なんです。緑の色つけると、「もう駄目だ」って、バタっと倒れちゃう。しばらくすると、またお腹がグーグー鳴るもんだから、また机に向かって続きを描いて。そうするとまた気分が悪くなってバタッと倒れて。そういうの一週間ぐらい続けて。「もう駄目だ」っていう時になると、本棚の本を持って、古本を抱えて、それで定食を食べて。それでまた一週間そういうことの繰り返しみたいな。(153頁)

おいどん大山君そのものだな。

鴨川の語る極貧生活や『ジャンプ』の専属契約制(というか「奴隷制」だよな)はまあそうだったんだろうなと思って読んだのが、三池炭鉱→ダンプ運転手→ほとんどヤクザという鴨川の父親の話は・・・。「九州男児の典型」という大泉の発言はまあネタとしてスルーしておく。で、鴨川親父の話は本当なんだろうけど、この対談で前提にされている「炭鉱」のイメージがなんだかシンプルすぎるような。
生前の父親や、母親、親戚からの話を聞いていると、炭鉱といっても無茶苦茶な階層があるもので、例えば北炭でも社員と下請けは別世界の住人。実際居住区域が違う。下請けでも、日本人と朝鮮人は全然違う。父は下請けの階層で、母親は社員の階層。父方の祖父は鴨川親父的な人たちや朝鮮人工夫たちとガチンコで仕事をしていた鉱夫頭だったので、鴨川親父的武勇伝はあったはず。少なくとも、爺さんには彫り物があったらしい。父もそういうところから出てきて拓銀の行員になったのだが、当時「あの家から拓銀に入ったのか」と驚嘆されたそうだ。そういう貧しい階層だったんだな。こういう場に書き込むのはキツイ話も聞いている。
他方、母方の祖父の方は北炭の「社員」なので、鴨川親父的武勇伝は聞いていない。母方の祖父はあまりマジメな社員ではなかったが、北炭社員にはずいぶん優秀な人も多かった。莫大な資本や最新の技術が必要な現場なんだから当たり前だ。
鴨川親父も、鴨川自身も、まあ私の父のような階層の出身だったんだろうし、それゆえの貧困や逆境が既成の体制をぶっ壊すような創作意欲につながったというストーリーは分かるのだが、「炭鉱」=暴力&貧困という図式が固定化してしまうのは、ちょっとイヤな感じがする。
べつに、誰も固定化していないか(笑)。

鴨川つばめで思い出したが、あれは頼まれて学校で宿直するとかいうエピソードだったか、キンドーさんが恐怖におびえてドラムソロをたたきまくるコマがあって(これの方が恐怖)、あれ、連載時期を考えると(1977年)、レインボウ「スター・ゲイザー」の冒頭のコージー・パウエルのドラムソロなんだろうか。六連のやつ。確かバスドラが二つあったよな、キンドーさんのドラムセット。あるいはボンゾのドラムソロかな?
そういえば、『マカロニ』を読んでいて、母親に「スケベな漫画を読むな」と怒られたのだが、あれはツェッペリン『聖なる館』のジャケのパロディー絵(美少女の裸たくさん)だった。
あれでハードロックの世界を教えてもらったんだったなあ。
よくまあ覚えているもんだなー。