拓殖のあと

はてなダイアリーから引き継ぎました。(2018年8月31日)

夕張の人口

私は北海道の夕張市、炭坑の街で産まれた。これは1968年。で、この年をさかのぼること7〜8年くらいが夕張市の人工のピークだったらしく、母によれば12万人にぎりぎり届かなかった、ということだったようだ。昭和でいうと35年だ。(今は1万2千人。)
で、この12万人云々の話になったとき、S叔母が「そうだよ、朝鮮人がたくさんいたからね」と言う。で、あれ?と思ったのだ。
炭坑に朝鮮人や中国人がひどい環境下で働いていたのはもちろん知っているし、私の(あったことはない)祖父も炭坑夫頭として彼ら「外国人」も束ねていたわけなのだが、しかし人工のピークってのは戦争が終わって15年くらい後の話であって、あれ、彼ら「外国人」は、全員ではないにせよ、相当数は戦後故郷に帰ったのではないのかな、と思ったわけだ。
かなり多数の「外国人」が産炭地に残った、というか残らざるを得なかったようなのだ。朝鮮戦争の影響も大きいようだし、李政権がいやだったということもあるようだし、日本の炭坑に残った方がまだマシで金が稼げるということも(場合によっては)あったとか、──この場合、日帝時代の朝鮮半島がいかにひどかったかという問題と絡んでくるが──とにかく知らんことばかり。
自分の産まれた街についてすら知らんことが多すぎる。ましてや北海道のことなど(略
さて、親戚たちのこぼれ話は『夕張市史』には書いていなかったと記憶する(がうろ覚え、ノートがどっかにいっちまって確認できない)。
こうして郷土史にずぶずぶとはまっていくのであった・・・。