拓殖のあと

はてなダイアリーから引き継ぎました。(2018年8月31日)

院授業録画中継(3)

昨日、金曜日は振り替え休日で、一日マジでごろごろ。録画中継は一日遅れ。
『植民地幻想』第三章、「スー族、そしてコロンブス」。担当のMさんがコロンブスカニバル表象について表を作ってくれたので大変わかりやすかった。これはGJでした。
今回は正木さんのレトリックというよりはその理論的立場について議論となった。19世紀アメリカにおける「インディアン」の悪魔化、15世紀末の「カニバル」記号・・・時間と場所をこえて「必然的」に生じる、「新旧二つの価値体系」が衝突するときに必要とされる自他を区別する「観念体系」(W・アレンズ)の存在を見いだしてゆくという議論と、ポスト構造主義以降の議論との明らかな違いについて云々。私なんかは新旧二つの価値体系のあいだを移動する存在に注目したいなとか無謀なことを言ってみたりした。
そうそう、院生諸氏に、「学部の授業で新海誠ネタ、スルーされてしまったんだが、私の間違いってなんだったのでしょうか?」と、授業の資料を渡して率直な意見を言ってもらったのだが、

  • 新海誠のマンガが彼ら/彼女らの生活に近すぎて、つまりリアルすぎて、反応できなかった。
  • 「正解がある」と思っている学生に、私が正解のない問いを煽ったのがそもそもの失敗。
  • 作品の分析を通して北海道表象をやるというならともかく、作品Aから作品Bへの変換の過程における資本の問題などという議論は、たしかにカルスタとしてはいいかもしれないけれど、学部生には難しすぎるのではないか。

などなど、貴重な意見をもらった。