拓殖のあと

はてなダイアリーから引き継ぎました。(2018年8月31日)

Saturday読了

帰りの飛行機とバスの中でSaturdayを読了した。
「日常」などというものがあっけなく変わってしまうことをクールに書いて読ませるのがこの人の持ち味なんだと勝手に思っているのだが、この小説は異常者が出てくるパターンがEnduring Love(邦訳も出ているんですね愛の続き (新潮文庫))にちょっと似ている。が、Saturdayはどうもキャラ設定が滑っているような気がする。主人公は想像力の欠けた脳神経外科医。嫁さんは弁護士。まあこのあたりはよい。息子と娘は主人公に欠けた部分を補うかのようにブルース・ギタリストと詩人になる。まあそれもよい。
しかしですよ、息子がジャック・ブルース(クリームですね)に弟子入りしてクラプトンやアレクシス・コナー他の伝説的なミュージシャンに学ぶことができてその天性を開化とか、娘が(オックスフォードにポジションがあったという詩人の爺さんの薫陶のおかげで)成績トップで文学部を卒業、すぐに有名書店から詩集を発表しある有名な文学賞を受賞とか、さすがに「りありてー」というものがないよ。つまりこの小説はこうしたキャラたちをネタとして苦笑いするお話なのだなと読んでいたが、こういう家族がバクスターなる異常者にかき乱されるという山場を読んでも、あー、こんなありえねえ家族なら別に無茶苦茶になってもいいんじゃねえのとか思ってしまうわけなのだった。というか、お前らもう少し苦労しろよ、と。
Enduring Loveの方がもう少し丁寧なキャラ設定をしていたと思うなあ。
というわけで、息子の名前はTheoか、こりゃテオ・マセロからだな、異常者はBaxterか、これはジェフ・”スカンク”・バクスターだなとか、作者のブルース&ロックヲタぶりに妄想をめぐらしていたのだった。