拓殖のあと

はてなダイアリーから引き継ぎました。(2018年8月31日)

暑い、暑い

暑い中、エアコンなしの部屋に押し込められて私の話をきかなきゃならない学生さんに深く同情する。しかしこの状況を改善するには授業料を飛躍的にアップしないとならないわけで・・・。
9月15日。
仙台。常磐道を行き止まりまで走り、そこから国道6号で仙台まで向かったのだが、意外と時間がかかりますね。5時間でした。
9月16日。
遠野や釜石にサクッと寄って、帰宅。
9月17日。
疲れて寝る。夕方おきて、深夜まで予習。
9月18日。
4コマ。暑いし暑いし・・・。
9月19日。
月曜授業の振り替えで2コマ+会議2つ。シンドイ。
9月20日
院の授業。
アウエルバッハさんにとって、もの「les choese」に対する積極的無関心というか無知か、この態度をもって、ああでもないこうでもないと語るモンテーニュさんは、ある意味でこれこれをいろいろ語っている「私」の存在を確保するための「科学的」な手法の実践者として評価される。これも宗教なしの人間学、ということ。
ただしモンテーニュさんは「泰然自若」「安楽」なので、そこには「悲劇」がない。つまりものへの没入はあるのだが、超越的なるものによる不条理さの感覚が欠ける、と。『ミメーシス』冒頭のギリシャヘブライの対立でいくと、これはギリシャ的な平明さが優勢なのだということであり、そしてこれは当時の「教養人」の需要と一致すると結論づけられる。
Mさんから「高校時代にならったこと、常識の復習みたい」との感想が。まあこの60年前の仕事が今は常識になっているということなのだろう。