拓殖のあと

はてなダイアリーから引き継ぎました。(2018年8月31日)

メモ

科研費の研究代表者交替は、年度当初に平成20年度交付申請書を出すときに「研究代表者交替届け」を出せばよい。現時点では特にやるべきことはない。ただし、交替の資格があるのは、当該科研の研究分担者として1年以上関係している者でなければならない。*1
2月12日。
Sさんが中国から到着したことくらいしか覚えていない。ああ、授業もやったっけ・・・。
夜、『Allegories of Reading: Figural Language in Rousseau, Nietzsche, Rilke, and Proust』第一章、Kさんが"Semiology and Rhetoric"をまとめてくれる。今回はDiacritics (1973, 3:3)に掲載されたヴァージョンで読んだのだが、プルーストさんの引用直後の、あの精緻な読み──"torrent of activity (torrent d'activité)"は隠喩だが、これはクリシェと化している、いわば死んだ、眠っている隠喩である。これが隠喩であるためには、torrent(流れ)とactivity(行動)が異なるものの結合でなくてはならない。そのためには、"torrent"(流れ)に"a running brook"(流れる小川)がmetonymic proximityにあって、「流れる川」の換喩的構造が必要なのだ、云々──のところが完全にすっ飛ばされているのだった。Allegories版でいうと14頁9行目と10行目の間にまるまる2頁ほどのテクスト分析が割愛されている、と。これをどう考えるか。興味があるが、気力も体力ももたないので、各自の宿題にする。
2月13日。
会議2つ。非常勤、無事決まる。安堵。
2月14日。
朝から晩まで書類を書いていたような気がする。帰りはメタボ対策のため、大学に車を置いて、50分歩いて帰宅。
2月15日
朝から(ry
夜、上海よりRさん到着。一安心。
自宅でこの動画を観て過ごす。
よくまああのクソ重い六弦ベースを弾きこなせるなパティトゥッチさん、ドラムが深く鳴っているよカリウタさん、やっぱりこういうラテンな曲がいいよコリアさんと、これは真似しようという欲望がおこらない神演奏。
1992年、ブルーノート東京の演奏だが、これDVD観たような観なかったような・・・。

この曲"Tumba"は長いので、↑は途中を割愛したバージョン。

*1:私の職場の事務で聞いたので、他のところはわかりません。どうぞご自分でご確認を。