拓殖のあと

はてなダイアリーから引き継ぎました。(2018年8月31日)

コメントへのコメント

日本とは何か?――世界の中の日本――

1月28日のコメント(アレンジしてあります)

  • 資料が汚い(複数)エコのため使用済みのプリントの裏側を使ったのですが・・・。申し訳ない。拙著『帝国日本の英文学』は大学図書館にありますから、それを使うのもよいでしょう。
  • 知らなかったのでおもしろかった
  • 戦争中の英米文学者の在り方を考えたことがなかった。
  • 〔中島が〕間接的な手法を用いて、“日本植民地主義”というより、“日本”の肯定の役割の一端を、英米文学者が担っていた、という事実が非常におもしろい(複数)。/西洋人による西洋批判を自らの植民地主義の肯定に結びつけるという日本人の態度はまさに「虎の威を借る狐」という表現がぴったりだ。
  • こういう役割を担ったひとたちはどれくらいいたのだろうか。/批判する人はいなかっのか。→拙著が依拠している宮崎芳三『太平洋戦争と英文学者』(研究社、1999年)を読むべし。
  • 戦時中における英語の扱いですが、1944年のプロパガンダ映画の告知映像にもたびたび英語が使われているし、どこまで厳しいものだったのかはよくわかりません。→ピーター・B・ハーイ『帝国の銀幕―十五年戦争と日本映画』(名古屋大学出版会、1995年)や、佐藤卓巳の一連の啓蒙本を読むこと。
  • 方法論の問題
  • 文学研究についてよく知らないのだが、今回のように?、?のように違う仮説が出たとき、どちらが正しい(有力)と決めるのはどうやっているのか気になった。また、100%の正しさというのは無理なはずだが、そこにどうやって価値を見いだしているのか。(物証?資料分析?研究者の権威?)→ (1)ある作品についての仮説がある。それを別の立場の誰かが認める。あるいは認めない。延々と議論をする。・・・という手続きが延々と継続されている。その継続性によって仮説の妥当性が担保される。自分が使っている辞書がどのように出来ているのか、想像してみるとよい。(2)、「100%の正しさ」とは、そもそも設定自体がヤバイ。辞書ですら、そのようなものは保証できない。(3)私は「物証」+「資料分析」(の論理的妥当さ)で勝負したい。
  • 異論反論(どちらにも一理あるよ)
  • 戦時中の英米文学者たちが、日本の国策を肯定するために、文学を利用していたというのがおもしろかった。それでも中島敦が単にそのような意味で文学を利用しきれなかったということに、「文学」の可能性があるのではないかと思う。→私の言いたいことに近い。私なら「文学」のところに「英文学」を代入したいが。
  • 中島の小説が表向き「欧米の植民地主義を英人が批評する」ノンフィクションっぽい小説を書いたのであっても、その真相は定かではない。この小説は西洋批判を主眼にしたものではなく、あくまでもリアルに書いたものではないか?→これまでの中島論に近い。*1

期末試験で、私の担当した回のテーマで解答したい人は、私の中島敦論について資料を読みながらじっくり考えておいてください。資料を読んだあと、「李陵」や「山月記」といった有名短編を読み直すのもよいかもしれないし、彼の南洋モノ短編(有名な「マリヤン」など)を図書館にある『中島敦全集』でチェックするのもよいかもしれない。

*1:追加情報として、中島敦は、若い頃は満州へ、死ぬ直前はパラオ島へ行っている、いわば日本初の植民地作家だったという評もある〔渡邊一民『中島敦論』みすず書房、2005年〕。