拓殖のあと

はてなダイアリーから引き継ぎました。(2018年8月31日)

福原麟太郎は広島県の人だったのか

1945年以降の『英語青年』をめくっている(筑波大学の『英語青年』は戦後数年が欠落していて困る)。「広島」「原子爆弾」がキーワード。1948年に日本英文学会西日本大会が広島文理科大学で開催されていることが気になった。あと、1950年の記事に「七月三十日から八月八日まで福原麟太郎氏は郷里の広島県へ帰省」とあった。八月六日に広島市へ行ったのかどうかよくわからない(『著作集』の文章に関連記事があったかどうか…)が、時期的にまあ行った、行こうとしたのでしょうね、たぶん。お盆ならもう一週間遅いと思うし。しかしこのあたりは調べないと分からない。