拓殖のあと

はてなダイアリーから引き継ぎました。(2018年8月31日)

あてがはずれた?

上記のようなことを書いたのち、1954年の『英語青年』を読んでいたのだが、福原は四月にも帰省している模様。となると、1950年は8月6日に合わせて帰省したという推測はあくまで推測に終わりそうでもある。しかしこれが推測でしかないのかどうかもわからない。これ以上やると福原論になってしまうのだが、どうすべきか。
あてがはずれたというか、これは想定していないといけないのだが、1954年くらいになると『英語青年』も分厚くなってきて、ざっと眺めるだけでも結構時間がかかってしまう。一日で一年分を「眺める」のは辛いかもしれない。博論を書いたときは全然辛くなかったのだが、なんだか今回は目も疲れる。ああトシだなあとつくづく感じます。

付記:福原は1946年の4月にも帰省している。うーむ、単に親族に会うためかなあ。(2012年6月10日)