拓殖のあと

はてなダイアリーから引き継ぎました。(2018年8月31日)

広島を語らない福原

『随筆全集』全8巻のチェックも終わった(熟読したとは言うまい)。『著作集』のチェックのことも考えると、福原麟太郎広島県人ではあるけれども(福山市、というか松永)、原爆投下後の広島について正面から語ることは、ほとんどなかったと言ってしまってよいだろうと思う。福山市広島市は、同じ広島県でも距離があるから関心が薄い、ということは否定できないかもしれない。しかし、戦後、広島でシェイクスピア祭りなるものが開かれたとき福原は「政治と英文学」なる講演をやっていて、これは本人も気合いがはいったものだと言っているのだが、そこでも足下の問題に触れることはなかったようなのだ。敗戦国の人間が、戦勝国の文学をなぜどう勉強するのかということが、広島においては先鋭的に見えてくると思うのだが、だからこそ避けた、ということなのだろうか。ならば当然ハーシー『ヒロシマ』を大学英語教科書に選定するのには反対するだろうなあ。
つまり、広島と原爆の問題は、福原がつねづね言うところの「文学」の問題ではなかったということになるのだろう。
こういうことは、中野好夫の領分ということになるのだろうか。
・・・と、とりあえず先週末からのお勉強の備忘録。