拓殖のあと

はてなダイアリーから引き継ぎました。(2018年8月31日)

占領下の福原麟太郎

昨日は、筑波大学東京キャンパス文京校舎(要するに昔の教育大、茗荷谷のこと、建物は新しいです)にて、Viet Thanh Nguyenさんをコメンテーターに迎えてセミナーを行った。私は、ハーシー「ヒロシマ」を教科書で使えと言われて使わなかった福原麟太郎のことをしゃべり、Yさんはヨンヒル・カンというまさにtranspacificな活動をした英語作家についてしゃべった。
このところずっと福原を読んでいたが、反共なのはまあわかるとして、親米ではないのだな、と。GHQ経由でハーシーの本が日本に5000冊輸入されて、大学の英語の教科書に使えという話ですが、そもそもこれGHQの誰がどういう政治的目的で始めた話なのかがわからないのだが(東京朝日もそこまでは報道していない、というか報道するはずないわw)、そんなわからん話はダメだ、と福原が考えて断ったということもありうるなと思いました。東京朝日の記事の文面では「人が殺されるのを教えるのはつらい」云々となっていたけれど。
それにしても、GHQがらみの話を東京教育大学の文学部長が断ったのだから、それなりにインパクトがある話だったでしょう。こういう「こうするか、ああするか、決めろ」といつも「お上」からプレッシャーがかかる事態に対処せざるを得なかった福原は占領下日本を、そして冷戦下を生きていたのだなあと感じます。

広島と原爆について事実上触れることがなかったことも、この「プレッシャー」が一因ではあるなと。もっとも、彼の考えるところの「文学」には「原爆」はなじまなかったということの方が重要かな、と。

VietさんやBさんやOさんからも今後の研究のヒントをたくさんいただいたので、まあ苦労して福原を読んで英語にした甲斐はあったかな、というところです。
そのせいかどうかしらんが、両肩が痛くて左肘が痛いというか痺れる。普通に40肩だという話もあるが。