拓殖のあと

はてなダイアリーから引き継ぎました。(2018年8月31日)

「スペンダー、ジョイス&エリオット、広島」のメモ(上記エントリーの補足)

スペンダーの日本訪問(1958年)が、その3年前のフォークナー日本訪問、さらにはスペンダーがJournalに書いているように、エドマンド・ブランデンやD・J・エンライトが日本を訪問して(スペンダーに言わせれば彼ら、特にブランデンは「神格化されている」という)いるが、彼らの訪問は単なる物見遊山ではなく、「意図」をもった講演旅行があったわけで、それは(反共)リベラリズムを説くもの、(英)米の対日文化政略であった可能性は念頭においておくべきだろう。冷戦期ですからね。
それで、スペンダーの広島講演、"Problems of Modern Poetry"だがーー広島で現代詩の問題を語るのであれば原子爆弾のことを念頭におかないわけにはいなかい。ところで、1954年の第五福竜丸事件以降、"occasional poetry"があるようだが、それは語る価値はあまりないだろう、でも『荒地』と『ユリシーズ』は日本で有名だから(これはインフォーマントがいるはず、たぶん1958年の訪問でも実際に会っている吉田健一あたりだろう)それを語ろう。どちらも「破壊」から「再生」の詩なのだから。ーーというもので、明言はしていないが、日本の荒地派や戦前からの『ユリシーズ』翻訳のことを考えて両作品に言及したのだろう。ここで重要なのは、"occasional poetry"については、ディスてはいるもの、具体的な作品を取り上げて批判してはいないことだ。私は、これはおそらく大原三八雄が1955年に英訳した「原爆詩集」のことをもさしているのだろうと思う。スペンダーは読んではいないのだと思うが。読まずに評判だけを聞いたのかもしれない。
この英訳「原爆詩集」は、原爆投下の悲惨を語る詩(峠三吉の詩は原子力の平和利用を夢見る人民の詩も入っていてうーむと考えてしまう)がメインである(ただし要精読>オレ)。ともあれ、ここでスペンダーは、一次大戦の破壊と再生を語る作品、『荒地』と『ユリシーズ』が広島でも読まれてよいと言っているわけだが、これは迂遠ではあるが荒地派や深瀬訳エリオットや伊藤整の流れにお墨付きをあたえたわけで、「左翼的」な"occasional poetry"(峠三吉栗原貞子なども含む)を生み出した、またそれにコミットした英米文学者(大原や寿岳文章など)の系譜を抑圧する役割を果たしたのではないか。私の立場は、どちらの系譜も同時に勉強しなきゃダメでしょ、というものであります。・・・などと寝付けぬ夜に長文を書いてしまった。ままいいや、朝起きたら赤面ものだが、それでもいいや。
ではおやすみなさい。