拓殖のあと

はてなダイアリーから引き継ぎました。(2018年8月31日)

石牟礼道子『苦海浄土』読了(4度目位?)

新装版 苦海浄土 (講談社文庫)

新装版 苦海浄土 (講談社文庫)

授業で学生さんに担当してもらった。重要な箇所をうまくピックアップしてくれたのは良かった。「あとがき」から。

(原題『海と空のあいだに』について)
ーー意識の故郷であれ、実在の故郷であれ、今日この国の棄民政策の刻印をうけて潜在スクラップ化している部分を持たない都市、農漁村があるであろうか。このような意識のネガを風土の水に着けながら、心情の出郷を遂げざるを得なかった者たちにとって、故郷とは、もはやあの、出奔した切ない未来である。
 地方に出てゆく者と、居ながらにして出郷を遂げざるを得ないものとの等距離に身を置きあうことができれば、わたくしたちは故郷を再び媒体にして、民衆の心情とともに、おぼろげな抽象世界である未来を、共有できそうに思う。その密度の中に彼らの唄があり、私たちの詩(ポエム)もあろうというものだ。そこで私たちの作業を記録主義とよびことにする・・・と私は現代の記録を出すについて書いている。未完のこの書の経緯を、いくばくかはそれで伝えているように思う。(359ー60)

「故郷」や「未来」、そして「詩(ポエム)」*1について、考える事はたくさんある。
英文系だとこれを思い出したりもする。ちょっと古いけど。

Imaginary Homelands: Essays and Criticism 1981-1991

Imaginary Homelands: Essays and Criticism 1981-1991

あと、代弁=表象の問題で授業をやっているので、担当学生さんは
「釜鶴松のかなしげな山羊のような、魚のような瞳と流木じみた姿態と、決して往生できない魂魄は、この日から全部わたくしの中に移り住んだ」(147)も引用してくれた。これををどう評価するかについては、受講者のあいだでも意見は分かれているようだ。先週のいとうせいこう『想像ラジオ』での議論ともからめて、思考を深めてもらえればなあと思う。読んでおいていい作品。前回担当してくれた学生は「オススメです!」と言っていた。

*1:ここ、「彼らの唄があり、私たちの詩(ポエム)もあろう」と書いているのには注意したい。