拓殖のあと

はてなダイアリーから引き継ぎました。(2018年8月31日)

江利川春雄『英語教科書は〈戦争〉をどう教えてきたか』読了

著者にお恵みいただいてすぐ読みました(ざっとですけれど)。帯の惹句に「英語教科書は若者を戦地に送った  戦後70年初めて明かされる〈戦争〉教材の真実」とあるが、まさにその具体例がふんだんに盛り込まれている。私、かつて雑誌『英語青年』復刻版をガーッと読んで、特に日露戦争あたりの記事が軍事用語やら何やらてんこ盛りで驚いたことがあるが、英語教科書でも同様だったというわけである。予想はしていたが、これほどとは思っていなかった。
個人的に気になった箇所。

1988(昭和63)年、すでに文部省検定にも合格していたにもかかわらず、高校2年生用の教科書である中村敬ほか著First English II(1988年3月31日検定済:高校)の第13課War(戦争)の内容が一部の与党議員や学者らから攻撃され、それがきっかけでミュージカルのMy Fair Lady(マイ・フェア・レディー)への差し替えを余儀なくされたのである。教材Warは戦争の残虐さを多角的に扱ったものだったが、その中でアジア・太平洋戦争中の日本軍の残虐行為に触れていたため、「半日教科書」とのレッテルを貼られて激しい攻撃を受けたのである。(202)

博論書いている時に資料を読んだ記憶がある、はず。しかしこれは大事な事件だ。

もとより、文部省検定教科書にこうした反戦の主張が公然と載ることは不可能だった*1。しかし、この時代の反戦反帝国主義の息吹を無視することは、公平な歴史記述ではあるまい。そこで、社会教育的な英語教材である松本正雄著『プロレタリア英語入門(A First Course of Proletarian English)』(鉄塔書院、1932)の内容の一部を紹介したい。(中略)同書は序文で、プロレタリア(労働者階級)が語学を学ぶ意義を次のように述べている。(133)

全く知らなかった。

小川二郎もまた、太平洋戦争開戦翌年に次のように述べている(前掲「英語教育の意義と教材」1942、61ページ)。

英語の片言がしゃべれるからとて得意になっていたやうな卑屈な優越感は、英米文化を下から仰ぎ見るといふ劣敗感から生まれたものであるから、戦捷が結局は民族精神の優秀に帰することを考へれば、日本民族の西欧先進民族に卓越するといふ自覚を覚醒せしめる大東亜戦争の完遂によってかかる劣敗者的優越感は払拭せられるであろう。そのこと丈でも大東亜戦争は遂行せられる価値がある。

しかし、強がりはいつまでも通用しない。こうした文書が出されてわずか2〜3年で日本は無条件降伏したのである。(173)

小川は広島文理科大学の英文学者。私は「原爆に触れなかった」福原麟太郎論を書く時に小川(被爆している)のことを知った。小川の戦前・戦後の英文学に対する向かい方は、誰かが調べてもいい。

*1:齋藤注:1930年代半ば〜後半