拓殖のあと

はてなダイアリーから引き継ぎました。(2018年8月31日)

トムリンソンの時局的な翻訳

今日は早起きして明日の授業の予習を午前9時前に済ませたので、あとはずっと論文を書いている。英語で書いているとどんどん論旨がシンプルになってゆくような気がする。それもまたよし、わけがわからない文章より百倍よい。ところで、先ほど宮城教育大学から『光と風と夢』が到着した。残念ながら、これは昭和十七年七月十五日発行の初版ではない。奥付をみると「昭和二十年三月二十日 再版發行 再版一〇、〇〇〇部」とある。これはおもしろい。今の一万部じゃないから、これは相当なものだし、しかも敗戦の五ヶ月前だ。つまり、中島の作品に対する相当な需要があったと考えるべきではないのか。中島は戦時中はマイナー作家のままだった、戦後友人たちの尽力でメジャーになったのだとと簡単に結論してはいけないのかもしれない。ところで、この作品は芥川賞を逃した上に、「いいのかわるいのか分らない」というまことにスバラしい評まで頂戴した作品だ。しかし、この再版という事実を考えると、結局のところ時局的な「いい作品」として認知されたということなのか。わからん。 
論文書きに疲れたので、もう少し駄文を。
金沢大学からはH・M・トムリンソン著、吉武好孝訳『海と密林の旅』(新潮社、1942年)という翻訳書がとどいた。「世界探検紀行叢書」の一冊である。原著は1924年発行。なぜこんな本をインターライブラリーローンで注文したかというと、中島敦『光と風と夢』が掲載された1942年5月頃の文芸雑誌や総合雑誌をみると、とにかくこの本の広告が眼につくのである。『文学界』『文芸』のみならず『改造』『中央公論』にもあった。(『文芸春秋』ではまだ未確認である。)どんな広告かはここをみてもらいたい。とにかく東南アジアにおいて西洋人が西洋文明批判をやり、さらにはご丁寧にも日本の進出を言祝ぐというシロモノである。訳者の前書きをちらちらよむと、なんだかずいぶん省略して翻訳してあるようだ。アヤシイ。これは英語の原著もチェックする必要があるようだ。ともあれ、こうした西欧人の紀行文が盛んに翻訳されていたこと、そして全く同時期にコンラッドの『オルメイヤーの阿呆宮』が新たに翻訳され、あるいは古い訳が再版されていたことの意味を考えることにしよう。