拓殖のあと

はてなダイアリーから引き継ぎました。(2018年8月31日)

ゆうきまさみは北海道の倶知安(くっちゃん)町出身

だったのだそうだ。
あそこはド田舎だからなー(ただし札幌へのアクセスは悪くない・・・900メートル近い中山峠を越えて1時間半だが、これは道東基準では「アクセスは悪くない」になる)、少ない情報(たぶん少年漫画誌だろう)で妄想をたくましくしていたのかな。
前に書いた北海道論の北風史さんも真狩村→札幌南高校というすさまじい経歴で、これは道外の人にはなかなか分からないだろうが、冗談抜きで無茶苦茶強烈な階級移動であり、異文化体験だ。ヘタすると陰湿なイジメにあったかもしれん。イジメはなくても卑屈になった可能性は大だ。(私の出身校の札幌旭丘高校ですら「札幌の山の手」で、拓銀様の私ですらスゲー疎外感を感じたもんだ。)パンクとVシネに走るのもわかる。
で、ゆうきさんも北風さんのような屈折があるのかな。高校どこなんだろう?
ところで、倶知安というかニセコ一帯もなかなか面白い。
前にも書いたかもしれないが、すぐ近くのニセコ町有島武郎記念館があって、そこからニセコの連山を観ると、山麓に牙城のようにプリンスホテルが建っているのがわかる。かつての(今でも?)本田勝一の仇敵、いま話題のコクドの象徴だ。
で、そのコクドの象徴を観ている場所は、有島が農地解放をやった場所。しかし有島の農地解放も農民に借金も残してしまって彼らはかなりエライ目にあったとも聞く。
なんというか、「地主」ってこんなものなんかな、と。
ついでに書いちゃうが、ニセコの山を越えて岩内に出ると、ばーんと泊原発が見える。で、このあたりの道路脇を観ると、町役場、村役場、美術館が異常に立派なのだ。泊村なんかすさまじい金のかけ方だ。
資本の露骨な力を感じることができる土地だなあ、あのあたりは。