拓殖のあと

はてなダイアリーから引き継ぎました。(2018年8月31日)

Forty Days in Quelpart Island

British LibraryからMalcolm P.Anderson, "Forty Days in Quelpart Island"が届く。さあ読むか、と思ったら、一ページ抜けている!毎日大量の文献を処理するから仕方ないのか。
まあいいや、とりあえず"Ichikawa"という文字があるぞ、さっそく読むか。・・・で、届いていない一ページを飛ばして、一応読んだ。
アンダーソンの中国東北部紀行では、付き添いの猟師を"Joseph"と呼んだりしてなかなかの傲慢ぶりだが、「済洲島紀行」ではちゃんと"Ichikawa"、"King"(今なら"Kim"という表記になるだろうが)と表記している。市河は"my interpreter"、金は"my servant"であった。
これ以上詳しいことはこれから書くであろう論文のネタをバラすことになるのでここには書かないが、市河「済洲島紀行」でかかれている以上に、市河青年は頼りない「通訳」だったようではある。アンダーソンは怒りと同情を市河に感じたようだ。ちなみにアンダーソンが怒った出来事については、『市河三喜博士略傳』(還暦記念論集の第六巻を見よ)は黙して語らない。