拓殖のあと

はてなダイアリーから引き継ぎました。(2018年8月31日)

サイード、1967年

イード追悼エッセイを書くため、1967年前後に書かれたヴィーコ論と'Beginnings'というエッセイを読み返している。1964年の博論(コンラッド論)ではやはり英文学研究の枠内で仕事をしていたサイードが、1967年を境に、「さまざまな始まり」について異様な思考をし始めたことに、ある種の感慨を覚える。自分のやっている学問の根元を問い直すという当然の作業を、サイードも愚直にやったということである・・・なんてことを漠然と考えていたら、ソマリア出身のサイード研究者、Abdirahman A. Hussein, _Edward Said: Criticism and Society_, Verso 2002という重厚な研究書を見逃していたことを知り、鬱です。これは『オリエンタリズム』よりは『ビギニングス』に焦点を当てた本。