拓殖のあと

はてなダイアリーから引き継ぎました。(2018年8月31日)

サイードさん週間

8月23日。
イードさんについての口頭発表準備。
8月24日。
同上。
8月26日。
筑波イギリス文学会で「『始まりの現象』の始まり──サイードの初期論文(1965〜1970)を読む」と題する口頭発表を行う。ミソは1965年のコンラッドさん『ノストローモ』論における「記録」と「現実」という問題設定が、1967年以降のいわゆる政治的論文、例えば「パレスチナ的経験」や「描かれたアラブ人」(1970年)といった論文においても、パレスチナ人自身が過酷な状況のただ中にいるということと、それについて彼ら彼女らが(あとから)書くことのあいだのdiscontinityを意識することが、パレスチナ人にとっての自己変革の必須条件になる、──つまり、他者による自らの「現実」と「記録」の齟齬を意識することが、自分の意志において自分の自己表象を選び取る、自分の始まりを選び取るきっかけとなる問題設定と同じである、ということを示した。これは、非パレスチナ人によるパレスチナ人の「現実」の「記録」を批判的に検討する、つまり『オリエンタリズム』の問題設定が1970年の政治論文に、そして最初期の1965年のコンラッド論文にもあったのだということである。*1イードさんは、最初期から変わらない。彼は愚直なリサイクルの人であるというのが結論になる。
8月27日。
大阪へ移動。御堂筋の「鉄板神社」にて、K&Kさん、Oさん、Nさんとたらふく串焼きを食らった。
8月28日。
テクスト研究学会@阪大。http://texts.at.infoseek.co.jp/info/index.html 
イードさんをめぐるシンポでは、8月26日とほぼ同じ発表を行う。Kさん、Oさんとのやりとりは、いずれ何らかの形になるであろう、というかそうしなきゃ。
予定変更により、28日中に無理矢理つくばへ帰還。
8月29日。
仕事をいろいろ。

*1:自らによる自らの「現実」と「記録」のギャップへの意識から、自らの立場を新たに選び取る、自らの始まりを始めるという問題意識は、『始まりの現象』〔1975年〕に結実してゆく。