拓殖のあと

はてなダイアリーから引き継ぎました。(2018年8月31日)

そろそろ栗山(鳩山)をやろうかな

北海道に栗山町という町がある。札幌市、岩見沢市、夕張市を線で結ぶと三角形になるが、その真ん中あたりにある町である。ここに「鳩山神社」がある。むろん例の鳩山家の神社である。
ここは私が最初に過ごした町でもあり(生まれたのは夕張市だが、そのころ両親は隣町の栗山町に住んでいた)、拓銀行員だった父親がヘマをやって羽幌支店の閉店業務へと飛ばされた町でもある・・・
鳩山神社と親父の左遷は直接関係ないのだが、「拓殖」という枠で繋がりがあるような気もする。
というわけで、「人類が集団的にかたちづくってきた都市という巨大な空間のシステムを、現代から先史時代へと遡航する過去への旅によって、いわば人類学的にとらえなおす試み」をやろうとしている田中純さんが説く、「異なる領域に属する事象間の思いがけない類似を見抜き、そこに共通する「おもかげ」を認識することのできる、強靱なアナロジー思考」(301−2)を勉強しようと思って、以下の本をほんっとに今さらながら読んでいる。「先史時代」ってのはアレだが、しかしなんといっても相手は「神社」なので、どんなもんかな、と。

死者たちの都市へ

死者たちの都市へ

もともと私にはこっちの方が向いているような気がするのがけれど。
要塞都市LA

要塞都市LA

世の途中から隠されていること―近代日本の記憶

世の途中から隠されていること―近代日本の記憶

しかし田中本でベンヤミンさんの都市論はやっぱり重要だと感じたので、今年の夏休みには栗山町でベンヤミンさんを読むとするか。