拓殖のあと

はてなダイアリーから引き継ぎました。(2018年8月31日)

帯広関係リンク

もちろん『帯広市史』(旧・新)をもう一度読み、『大正村史』(筑波大中央図書館には×)、『芽室町五十年史』(1952年、○)も読むわけなのだが、ネットでも結構情報が手に入りますね。学術論文を書くつもりではないのなら、引用はネットからでもいいかもしれない。読者も引用先の文章を手軽に読めるだろうし。
帯広市史(概要)*1
十勝農業試験場の沿革*2

*1:明治16年の鮭漁禁止令による(和人と)アイヌの窮乏→明治18年アイヌへの勧農@伏古(フシコ)コタンという歴史もわりとコンパクトに記述されている。ちなみに伏古は、私の母方の祖父の出身地である。アイヌへの勧農はうまくいかなかったわけだが、そのあとに和人の開拓者もどーっと入ってきているわけなのだった。爺ちゃんが生きている時に和人とアイヌとの関係を聞いておけばよかったが、なにせ20年近く前に亡くなっているから・・・。

*2:十勝農業試験場伏古の近くの新生という場所(しかし植民地らしい地名だ)にあるのだが、ここは私の親戚がかつてつとめていた場所でもある。