拓殖のあと

はてなダイアリーから引き継ぎました。(2018年8月31日)

今月末の某学会は大丈夫なのだろうか?

5月15日。
もはや覚えていない。たぶん××と添削だろう。
5月16日。
酒喰らって寝ていた。
5月17日。
酒(ry。糖質ゼロのビールもどきを呑んでいるが、意外と悪くないのだということがわかった。
5月18日。
2コマ。声に出して読む『現代批評理論のすべて (ハンドブック・シリーズ)』、Mさん執筆の「脱構築」。これに『オリエンタリズム〈上〉 (平凡社ライブラリー)』の「中間的カテゴリー」に対する「西洋」の「揺れ」→『文化の場所―ポストコロニアリズムの位相 (叢書・ウニベルシタス)』所収"The Other Question"での脱構築的再解釈、という王道をやる。が、これは本当はサイードさん、バーバさんのテキスト自体にねっちりつきあわなくてはしょうがないのではあるが。
5月19日。
2コマ。2コマ目、『フィネガンズ・ウェイク 1 (河出文庫)』は「棟梁フィネガン」以下の、「モーセっぱつまった」勢いでモーセ五書+Joshua&Judgesの名前をぶち込み、それに"guenesses"(ギネスとジェネシス)とエロを混ぜた箇所を解説。他、"washtch"は「占顔」、"immarginable"は「広唐無罫」、なるほどね云々。ついでに『ミメーシス―ヨーロッパ文学における現実描写〈上〉 (ちくま学芸文庫)』第9章、昼ドラ的エロ話満載の『デカメロン』、「修道士アルベルト」aka天使ガブリエロ、あるいはコスプレエロ坊主のエピソードに対するアウエルバッハさんの「生」に対するしみじみとした言葉を紹介する。心に生を足して性なのだ。
5月20日深夜。
表題の件についてはこちらをどうぞ。→ http://www.elsj.org/
関西と関東の交通は遮断されていないのだから・・・どうなることか。