拓殖のあと

はてなダイアリーから引き継ぎました。(2018年8月31日)

雑談

はてなDiaryがフリーズしまくるんですが・・・&『希望』復刻版

はてながダメなのか、7年もの(途中でVista登載)のDellさんがもうダメなのか。後者に一票であるかなあ。しかしこれから三人社の『希望』復刻版も買わないといけないしなあ。 http://www.kinokuniya.co.jp/03f/book/9784906943043.pdf ちょっと重いファイル…

結局7年分の『英語青年』読み直しているというorz

某gbkの論文締め切りが間近なので先週あたりから追い込みをかけている。本当はもっと余裕のはずで、某全国大会でシンポなどを聞いているはずだった。しかしそれは無理だった。というのは、この論文というか研究ノートは7月のgbkで発表したものが元になってい…

弁当(中年)男子

10月に入ってから、頑張って昼の弁当を作って持参するようにしている。学校で弁当を買ったりすると350円〜500円するのでもったいない。豚キムチ、キュウリの漬け物(塩こうじ)、塩鮭等々に梅干しご飯とシンプルなもの。でないと続かない。弁当を作った日は…

3日間寝てました…

土浦西蝦蟇大学は学園祭中で、その前後の金曜日と火曜日は準備のため授業がない。というわけで「温泉いこうか」「ドライブ行こうか」とあれこれ考えていたが、何のことはない、3日間寝込んでしまった…。もう歳だなあ。 今日と明日は論文書きに当てる予定。し…

テスト:Facebookとの連携解除

Twitterとはてなを連携しているのを忘れていて、Facebookとはてなを連携したら、Twitter(間接)とはてな(直接)から投稿がFacebookにされてしまって、二重投稿に。これでTwitterのみになっただろうか。

本の場所がわからない

1994年に大江健三郎がノーベル文学賞をとったときに『群像』が出したムックには柄谷行人との対談が収録されていて、これがambiguityとambivalenceの違いをわかりやすく述べていて、私は授業などで結構使っていたのだが、昨年の地震で研究室の本がぶっ飛んだ…

「鎌倉で原爆死没者慰霊祭」&黒川創「橋」

黒川創さんの「橋」を読んだあとだったので、この記事は、ぱっと目に飛び込んできました。 核と戦争の根絶願う 鎌倉で原爆死没者慰霊祭 http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2012100190115841.html 特にこのあたり。 始めに法要や献花をする慰霊祭をした後…

朝5時の出勤とThe Female American

火曜日は専門の授業が2コマあるので準備が結構大変なのだが、月曜の晩にやる気がまったくない。なので最近は朝5時に大学に来て予習している。まあ調子は悪くないし、結構はかどる。なにせ5時間後には泣いても笑っても授業をやらねばならないから、しゃにむに…

勘が鈍っている

どうなんでしょうね、1学期授業やらんかっただけで鈍る勘とかじゃなくて、もともと下手くそということですかね。ともかく暑い9月11日。2001年の9月11日は北海道にいたんだったなあ。

筑波大学札幌分校とかできんかな…&『テンペスト』

できたら志願するかなー。いや別に全然「筑波大学」でなくてもいいのだが。…などという「隣の芝生は青い」症候群で頭も回らず体も動かず汗だけダクダクという、まあダメダメなサバ開けの最初の一週間でございました。*1 今日はこれを読む。テンペスト―シェイ…

俺ホイットマン読むわ

清水春雄さんの以下の著作を読んでいるうちに、ライラックの歌―ホイットマンの教説 (1984年)作者: 清水春雄出版社/メーカー: 篠崎書林発売日: 1984/05メディア: ?この商品を含むブログ (1件) を見るホイットマンの心象研究 (1957年)作者: 清水春雄出版社/メ…

1952年の『英語青年』

昨日は池袋でコーネル大の学生さんと話をして(日本とシンガポールの英語教育を比較、酒井直樹さんのco-figuration図式の話になった)帰宅、そのあと件名のとおり『英語青年』を読んでいた。やっぱり「長崎」はない。以前書いたような気がするが、旧帝・高師…

フェンシング

の準決勝、対ドイツ戦は凄かったですよねえ?はやすぎて見えなかったけれど(まさに電光石火)、ラスト10秒というか2秒か、あの攻防は凄かったなあ…。

広島のEnglish

広島文理科大学の小川二郎が中心となって(?)出していた英語英文学英語教育雑誌Englishに(1948〜1950)ついては、全8巻を今年中に全部読んで、記事内容を整理して、最低でも研究ノートくらいのものは活字にする予定。研究者としての私の仕事はこういうこ…

オムニバス講義@白百合女子大

水曜日の夕方、連続オムニバス講義で「日本文学と南洋」というお題を与えられたので、池澤夏樹さんの『夏の朝の成層圏』とか『マシアス・ギリの失脚』とか最新作『氷山の南』について語ってきました。私の前はお久しぶり!のKMさんだったのだが、彼女は柄谷…

サバも事実上終了(号泣)

昨日、北海道&東北旅行より帰宅。今日(月曜日)は朝から職場のPCでメール読んだり対応したり人と会ったり書類を書いたり、ええもう「通常夏休み営業モード」でございますよ。なお、お盆前後はまた札幌に飛び、久しぶりに親父の命日に墓参をする予定。

腹調子悪い

のに移動しなければならないというのはなかなかに辛いものです(涙)。エアコンなしでぐっすり眠れる北海道で快癒することを期待しつつ。

大貫さんの博論構想発表を聞きました

某所よりアップ。 国立にて大貫隆史さんの博論構想発表を拝聴いたしました。ダブル・アイとコンプレックス・シーイングの違いも一例だと思うのですが、いわゆる「専門用語」を使わないで、「普通の」言葉をいわばギリギリとしばきあげ、それを読者にも共有し…

ハラが痛い

痛いというか、例によってゆるい。毎度のことではあるが、疲れがたまったり緊張が続くと××をする。母親いわく、父がそうだったようで、決算の時期になると毎日のように××していたようだ。こういうところは似なくてもいいのに。

第39回原爆文学研究会を終えて

7日の発表、8日のシンポが終了して、ほっとした&疲れた、でも充実感はある、というところでしょうか。いずれまとめ的な文章も出てくると予想しますのでここでは詳細は書きませんが、少なくとも私は非常に刺激を受けました&勉強が足りないと反省。後者につ…

「原爆」in『英語青年』リスト作成、進まず…

1945年から1949年まではまあまあ予定通りできた。しかし1950年になってから進行速度が非常に落ちている。これは当たり前で、敗戦後5年もたつとだいぶ状況が落ち着いてきて、『英語青年』の頁数も16頁→32頁のように増加、というか復旧しているから。資料読み…

Robinsonade集中授業、終了

土日の集中授業、終了しました。受講者のみなさん、おつかれさまでした。2学期と3学期、一緒にいろいろ《ロビンソン物語》を読んでいきましょう!

日本英文学会第17回大会(1945年11月24・25日)と進駐軍

『英語青年』1945年11・12月合併号31(199)頁に、日本英文学会第17回大会(1945年11月24・25日、於:京都帝国大学)の報告記事があった。 〔二日目〕午後は一時開会、進駐軍招かれて六七名、長い手を掲げて入場。 こういうことがあったのか。

ロビンソン映画鑑賞会2

上記エントリーの次の日だが、ここに書きます。ロビンソン・クルーソー [DVD]出版社/メーカー: パンド発売日: 2004/08/06メディア: DVD クリック: 4回この商品を含むブログを見るRCの場合原作準拠というのはあまり意味がないとは思うのだが、これは上記ブロ…

ロビンソン映画鑑賞会1

RCのド素人としてRC映画を観ることにする。昨日は台風4号の暴風を聴きながら以下を観た。大変時期にかなった映画であった。ロビンソン・クルーソー [DVD]出版社/メーカー: クロックワークス発売日: 2002/01/25メディア: DVDこの商品を含むブログ (1件) …

レガシー・アテンザ系かフォレスター

ちょっと冷静になってみると、やっぱり8は維持するだけでも大変。シャシーだけ残してエンジンはSkyactiveにならんのでしょうか。というわけで、レガシーやアテンザを大学の大駐車場で見かけたらちょっとだけ眺めさせていただくとか、フォレスターはあちこち…

次のクルマを考えるか…

同僚のHさんがアウディに乗り始めたのですよ。赤いアウディ。まああれを見ると、ちょっといいセダンが欲しくなるよね、ということなのです。さすがにアウディは高いわけですが(私はローンはいやなので一括で買えるものだけを買います)。 2ドアのジムニー…

「ディケンズと新歴史主義」

所用というかなんというか、ともあれディケンズのクリスマスものをチェックしていたのだが、適当にググっていたら久しぶりに村山さんの文章に行き着いた。 http://www.dickens.jp/archive/general/g-criticism-murayama.pdf 村山さんのしゃべりっぷりが思い…

福原麟太郎は広島県の人だったのか

1945年以降の『英語青年』をめくっている(筑波大学の『英語青年』は戦後数年が欠落していて困る)。「広島」「原子爆弾」がキーワード。1948年に日本英文学会西日本大会が広島文理科大学で開催されていることが気になった。あと、1950年の記事に「七月三十…

あてがはずれた?

上記のようなことを書いたのち、1954年の『英語青年』を読んでいたのだが、福原は四月にも帰省している模様。となると、1950年は8月6日に合わせて帰省したという推測はあくまで推測に終わりそうでもある。しかしこれが推測でしかないのかどうかもわからない…